ロンドンオリンピック開幕と日本選手団のユニフォーム

結局全部見てしまった

ロンドンオリンピックの開会式の中継、NHKで朝の4時半からやってましたね。
ちょうど新聞配り終わって戻ってくる時間とピッタリだったので、そのまま9時前まで全部見てしまいました。
前半のイギリスの歴史をなぞらえていたところ、どうにもCivilizationを思い起こしてしまって「イザムバード・キングダム・ブルネル(大技術者)が誕生しました」とか「製鉄所建設」なんて言いながら、ちょっとひねくれた楽しみ方をしていたり。
レッドコートと胸甲騎兵のスタックも見たかったな(やめなさい)。

日本選手団のユニフォーム

そんな開会式、Twitterを開きながら見てたのですが、選手入場で日本選手団が入ってきた時に、
「衣装がダサい」
「日本なんだから着物にすればいいのに」
というツイートがあちこちから流れてきました。
他国・他地域の選手団の中には、民族の伝統衣装に身を包んだ人たちが大勢いましたし、その国の代表であることを衣装で示したい、という気持ちが感じられました。
一方、日本選手団のユニフォームはというと、赤いジャケットに白のパンツ。洋装ですね。洋装は明治維新以降に日本へ持ち込まれた文化だから、伝統的ではない。せめて入場行進くらい和装してほしい…という思いでツイートされたんだと思います。

「着物」とは何か

着物が日本の文化や伝統をよく表すもの、という気持ちはよくわかります。
洋装の人と和装の人が並んでいれば、和装のほうに伝統を感じますからね。
「着物」という言葉は、広義には「身に着けるもの」全般を指しますが、この場合は「和服」を指すものとしていいでしょう。
大辞林iOS版)によれば、和服とは『古くから日本で用いられてきた様式の衣服。着物。』とあり、対義語に『洋服』とあります。
一方、洋服とは『西洋で起こり発達した衣服。西洋風の衣服。現在、日本で常用されている、背広・ズボン・ブラウス・スカートなど。』とあります。
つまり、「和服を着てほしい」ということは、「西洋から伝わった衣服ではなく、古くから日本で用いられてきた衣服を着用してほしい」ということになりますね。

「着物」の発祥の地

現代の日本人が「着物」つまり「和服」と聞いて思い浮かべるものは、中国から伝わったものです。
着物屋さんのことを「呉服屋」と言いますが、この「呉服」の「呉」とは、三国志で知られる中国の三国時代にあった「呉」から伝わった様式であることを示します。大辞林にも『中国、呉の国から日本に伝わった織り方によって作った織物。綾など。くれはとり。』とあります。「くれはとり」は「呉織」と書きます。
三国時代は2世紀末から3世紀にかけての時代なので、日本では弥生時代後期にあたります。邪馬台国について記されている「魏志倭人伝」も、三国の一つで曹操がいた「魏」で編纂された書物です。この時代、使節の往来や文化の交流を通して、呉の衣装が日本にも伝わったのでしょう。以後1800年に渡って呉服は和服となり、日本の文化に溶け込んでいくことになります。

現代日本人にとっての「伝統的な衣装」

もし一律に、舶来の衣服を着用せず、日本が古来から独自に育んできた衣装を身に着けてほしいというのであれば、洋服と同様、呉服もまた舶来品ですから、対象から外れることになります。
明治維新からたかだか150年の洋服と同列に扱うなということであれば、およそ1万5000年前の縄文時代初頭に始まる日本の歴史において、1800年もまた短い期間と言えます。麻の服と勾玉こそ、洋服や呉服の歴史よりも長く、日本で用いられてきた伝統的な衣装と言えるのではないでしょうか。
といっても、これはもちろん極論です。現代の日本で縄文時代の衣装を身にまとう人はまずいないでしょうし、一般に伝統的な服装といえば呉服のことを指すでしょう。

ナショナリズムの視覚化としてのユニフォーム

選手が彼らの属する国家や地域の伝統衣装に身を包むことは、一種ナショナリズムの表現であると言えるでしょう。伝統衣装は、その国・民族の文化や歴史を象徴するものであり、選手のアイデンティティの象徴でもあります。ナショナリズムというと戦争のイメージが強いかもしれませんが、国家間の争いという意味で、平和の祭典オリンピックと戦争には共通する部分があります。全ての選手が国や地域と切り離されるようにならない限り、オリンピックに留まらず、国際的なスポーツ大会とナショナリズムは切り離すことができないでしょう。

日本人としてのアイデンティティとユニフォーム

日本選手団のユニフォームも、日本人のアイデンティティをしっかりと表現していました。
赤と白。言うまでもなく日の丸カラーです。
「日の出ずる国」は、遣隋使の時代から続く日本を表す言葉です。日の出を尊ぶという感覚は、初日の出を拝むところにも現れていますね。
たしかに、衣装そのものは洋服であり、伝統的なものとは言えないでしょう。しかし、紅白というその色の取り合わせこそ、日本の伝統とアイデンティティを象徴するものであると思います。他国、他民族では衣装が担っているものを、日本では色が担っているのではないでしょうか。

古きを守り新しきを知る

和服を「中国から伝わった衣服」と常に意識している日本人は、どれくらいいるでしょう。洋服についても「いま自分は西洋から伝わった衣服を着ている」と意識しながら生活している人は、どのくらいいるでしょうか。実際、身に着けながらそのようなことをいつも思っている人は、ほとんどいないでしょう。
日本人は、外から伝わったものを、うまくアレンジして自分たちの文化に取り込むことが上手です。呉服にしても、長い歴史の中で様々にアレンジされてきましたし、それは洋服についても同じことが言えます。
衣類に限らず食文化でも同様で、私の好きなカレーは発祥こそインドですが、イギリスを経て日本へ伝えられ、日本人の舌に合うようにアレンジされています。
こうして入力している日本語も同じです。音韻こそ日本に古くから伝わるものですが、中国から伝来した漢字を充てるようになり、漢字が崩れてカタカナやひらがなになりました。入力しているキーボードにはアルファベットが刻印されていて、ローマ字の規則に従うことで日本語の文章を入力しています。縄文から続く音韻、漢字、漢字から派生したかな文字、アルファベット、ローマ字綴り。この5つ(ひらがなカタカナを区別すれば6つ)を普通に使っているのが日本人です。
日本人は、古来からの伝統を守りつつも、新しいものを巧みにアレンジして受け入れる特性を持っています。たとえ身に着けていたものが和服であろうと洋服であろうと、紅白にアレンジすることで、それは日本を表すシンボルになるのです。

ダサいかどうかは…

まーそんなわけで、個人的には着物でなくても全然かまいません。
ダサいかどうかは…美的センスが人並み以下だと思うので、ダサいのかもしれませんし、そうでないかもしれませんし。正直わかんない。


やっぱりCiv4やりたい…なんとかしてBeyond the Swordをインストールしてやる…!