ドゥーガル・ディクソン「グリーンワールド」

科学に裏打ちされた架空の生物群

ドゥーガル・ディクソンといえば「アフターマン」に代表される「人類後の生物進化」をシミュレートした著作を記しているサイエンスライター。映像化された「フューチャー・イズ・ワイルド」をご覧になった方もいらっしゃることでしょう。自分は見てません。見たい。
架空の生物たちが登場するのですが、それらはみな現代の地球に存在する生き物から進化したもの(例外は「新恐竜」で、絶滅しなかった恐竜が現代に至る6500万年の間にどんな進化を遂げたであろうかをシミュレートしています)で、異様ではあっても異質ではありません。そのどれもが生物学に則ってデザインされているため、偶然の積み重ねによっては実際に誕生し得るものばかり。
しかし今回は違います。
グリーンワールドは地球ではないのです。

地球を脱出した一万人から始まる年代記

グリーン・ワールド(上)

グリーン・ワールド(上)

グリーン・ワールド(下)

グリーン・ワールド(下)

恒星間宇宙船スカイフラワー号に乗ってアスカリス星系にやってきた一万人の人類は、人が住める惑星であることがわかっていたアスカリス第二惑星に降り立ちます。ここに来た理由は、地球の環境を回復不能なまでに破壊してしまったから。スカイフラワー号は箱舟なのです。
物語は着陸地点に築かれた街の郊外に住む老人と孫のシーンから始まります。到着からまだほんの30年しか経っておらず、地球を知っている人々がまだ何人も生きている一方、グリーンワールドと呼ばれるようになったアスカリス第二惑星産まれの世代が増え始めた頃。老人はある伝説の人物に出会い、地球産まれならではの思いを巡らせます。
この星固有の動植物と人類の関わりを描きつつ、時代と場所と人々が入れ替わり立ち替わり、物語はグリーンワールドと人類のミレニアムを紡いでいきます。

単純で複雑、魅力的なグリーンワールドの生き物たち

地層の層序まで事細かに想定されたグリーンワールドの世界観は、異質であるはずなのに不思議な魅力を放っています。異質故の魅力なのかもしれません。生物たちの基準は「6」です。六放射性の身体…六本足のヒトデのような姿の祖先から全てがスタートしているため、特に動物はその名残を強く残しています。脚の数は六本で、左右三本ずつに分けられる溝対称生物と、前後一本ずつの脚と左右二本ずつの脚を持つ腕足対称生物に大きく分類されます。前者は外骨格がハニカム構造になっているため大型の動物に多く、後者はその構造を持たないが故に大型化できず、地球でいえば昆虫にあたります。
人間の食用になる動物から猛獣まで様々な生き物が独特の固有名詞を伴って登場します。中でも特に人間との関わりが強くなるのはストライダとウーフル。背中に乗せた共生生物を四本の脚で支え、細く長い二本脚によって移動手段を提供するストライダは、人間の脚として長く利用されます。地球でいえば馬にあたる生き物でしょう。一方のウーフルはペットとして品種改良を施されるに至り、工業の発展によって動物との関わりが希薄になった時代においても人のそばにいる数少ない動物となります。名前が「ウルフ(狼)」をもじったと思われることからも、犬を想起させる生き物として描かれています。

凝縮された人類史

この異星での千年紀にこめられているものは、人類への警鐘です。訳書に際してのあとがきで著者自身が述べていますが、人類に襲いかかる脅威ではなく、人類が脅威となった新世界の物語が語られていきます。
乱獲と環境破壊。かつて地球を脱出せざるを得なかったのと同じ道筋を、あっという間になぞっていくグリーンワールドの「よそ者」たち。前半に登場する動物たちの魅力的な姿はやがて姿を消し、破壊をふりまく人間に対する恐怖と嫌悪だけが強まっていきます。
しかし、それは現代の人類が行っていることの縮図でしかありません。グリーンワールドの人間はもともとそこにいたわけではありません。美味しく食事をしていることと宇宙船の航行期間を考えれば、地球と同じように左手型のアミノ酸を基本とした生物圏が形成されてはいるのでしょうが、食物連鎖に組み込まれていたわけではないのです。それでも破壊によって生きていけなくなる。ましてやそれが生まれ育った地球の環境であれば…どんな破壊がどれだけの影響を人類に跳ね返すのか?
全てを食い尽くして立ち去って行く者たち。農作物を食い荒らしていくイナゴの群れを連想させます。あるいは、映画「インデペンデンス・デイ」のエイリアン。
読み終える頃には何かの気まずさと、失ったものへの郷愁を憶えました。