一応書き記し

妄想、というか、架空の物語を考えるのは決して無駄な時間ではないと思うわけで…。
これをイメージトレーニングと言い換えれば印象はがらりと変わる。地震がきたらどうするとか、もっと身近にあり得そうなところではガス臭いと思ったら何をしないといけなくて何をしてはいけないのか、とか。
でそれと東京を水爆で吹き飛ばした世界を用意するのとどう結びつくのかといえば、いきなりこういう舞台を用意したわけではなく、設定好きな私は一連の歴史の流れを数十年スパンで必ず準備しておきます。年表書くわけですね。まずそこが歴史に対する妄想の発露。もしここでこうなっていたら結果としてこうなっていたかもしれなくて、そこからこういう結果も生まれてきたかもしれないなあ、という動作を繰り返して適当な始点から適当な終点までの歴史を作り上げます。もっとも本当にランダムに考えているわけではなくて、ある程度の方向性は持たせていたりしますし、それ故に無理をしている部分もあるかもしれません。
でも歴史って人間が紡いでいるものですから、予測できないでしょう。ある程度こうなるとはわかっても、実際どういった動きが生じるか全てを正確に予知あるいは予言することは無理。それは一人の人間が関わっているわけではないからだし、たとえ一人の人間しか関わっていなくても無理だと思う。
で、出来上がった年表をぼけーっと何度も眺め続ける。想像する。そこでは何がどうなってそうなったのか。歴史年表風にものすごく簡略的に書いてあるから何でも想像できる。二点ABをつなぐ線Cはどのような経路を経てもかまわないってやつで。そこからさらに幾つもの出来事を年表に書き足していく。時には既に書き込まれた部分を変更することもある。
こうして想像というよりも妄想していった結果が私の書く小説ということになるのではなかろうかなあ。
先日の携帯電話の話は、今日コピペしたものとは違う「世界」の年表上にあります。どっちかというと平和な方の年表。
今日コピペしたやつは、ひたすら悪い方悪い方に展開させていった年表上にある話。
でも人類誕生の頃からプロットしているわけではなく、ごくごく近代から歴史をいじった年表上にあるわけで、どこかの時間軸ではこういう世界もひょっとしたらあるのかもしれません。
もしこうなっていたらどう思うか、避けるにはどうすればいいのか。ということまでは考えていないわけですけれども、確率の女神ほど気まぐれな女はいないでしょうからみなさん気を付けましょうというわけのわからんエントリで今日はもう寝ようと思います。