戯れにコピペ〜自作小説

「……あ、もしもし。あたしです。千尋。場所……あたし間違えてないよね、時計塔の前だよね……違ってたら言って。すぐ行くから。メールでもいいから。高ちゃ――あっ」
 プー、プー、と繰り返す携帯電話を見つめ、彼女はオンフックのボタンを押す。
 押してからも薄いピンク色の携帯から目を離さない。
 高ちゃん。彼女に呼ばれ、振り向く彼の笑顔が液晶に一瞬浮かんで消える。


綺麗なシェルと、傷だらけのストレート。
a beautiful shell and a dirty straight...


 二十一世紀、二度目の天舞の日。


 この日は日暮れ前から雪が降り始めていた。
 時計塔の広場は駅舎の上に造られていた。北口と南口を結ぶ広場の端っこは橋のように欄干が続いていて、待ち合わせか暇つぶしか、夕暮れ時を過ぎても人通りの多い広場のあちこちで立ちんぼになっている人が何人もいた。その下は広いロータリーと交差点。ひっきりなしに車が通り、バス停にもタクシー乗り場にも人がたくさん詰めかけている。
 こげ茶色のダッフルコートのポケットに手を突っ込み、千尋は欄干に寄りかかった。
 はあーっ、溜め息は白いふわふわとしたかたまりとなって空へ溶け込んで消える。
 足元を見つめる。タイルの一枚を靴のつま先でカリカリとこすったり、足をそろえて反り返るように、雪が生まれ落ちている空を見上げたり。
 右手の南口のほうを見るのはずいぶん前からもうやめていた。いつも彼が上ってくるはずの南口大階段。現れるいくつもの顔を見るたびに切なさがこみあげて……とても耐えられない。
 唇を噛み、千尋はゆっくりと回る時計の針をただひたすらに見つめている。


 塔の時計がごーんと柔らかな音色で時を告げる。鐘の音は七回鳴らされた。
 合わせて二十回……。足し算をしてから千尋は後悔した。余計に悲しくなってくる。
 バッグから携帯を取り出す。あちこち色が剥げたり、傷がいくつもついている携帯電話。画面を見るが、電話の着信もメールの受信もない。わかっていたが、確認せずにはいられなかった。
 自分の言葉が、気持ちが伝わっているのか。それがわからない不安。
 伝わっていて無視しているのか、伝わっているが返事ができないのか。あるいは伝わってさえいないのか。
 悲しさで胸が押しつぶされそうになる。
 千尋は胸元へ手を寄せ、傷だらけの携帯電話をぎゅっと抱きしめた。


「おーい。俺だー」


 大声にびくりと身を震わせ、千尋は左のほうへ顔を向けた。
「もう何度目だこれで。聞いてたら返事くれー」
 見知らぬ男が欄干に正面から寄りかかり、携帯に向かって喋っている。
 ふてくされた表情で電話を切ると、カスタネットを叩くようにそれを乱暴に折りたたむ。
 自分の姿とダブって見える千尋は、一度は時計に向き直ったものの、気づかぬうちに横目で男を見つめていた。
 乗り出すようにして欄干へとのしかかり、ストラップをつまみ顔の高さまで持ち上げた男は、しばらくぷらぷらとぶらさげた携帯をにらみつけていた。
 そしておもむろに手を離す。
「あ」
 離した手がすばやく下へと動き、ぱっ、と落下を始めたばかりの携帯電話をキャッチする。
 はっと気がつくと、MA-1の上に突き出た男の頭が千尋のほうを向いていた。怒っているのか眠たいのかよくわからない表情の顔が貼り付いている。
 雪が二人の間ではらはらと舞い、赤く青くネオンの光に染まる。
「……ぶない、です」
 うつむき加減の上目遣いで言った千尋の顔から目を逸らし、男は吐き捨てる。
「いいんだよ。落としても」
「でも」
 千尋は一歩前に出た。同時に意識がそれた手元から携帯電話が落下する。
「あ」がちゃ。
「あーっ」
 ばっとしゃがみ込み、千尋は携帯を拾う。溶けかけた雪と砂に携帯は汚れ、どこかに新しい傷を負っているはずだった。
「もう……やだ」
「あのさ」
 男が千尋に歩み寄り、ジャケットからタオル地のハンカチを取り差し出した。
「まだ使ってないから」
「――いいんですか?」
「うん」
「ありがとう……」
 千尋は白と茶色のチェック柄のハンカチを受け取り、汚れと水滴を丁寧に拭き取っていく。
 男はその様子を脇で見ていた。
「……よく落とすの?」
「え?」
「傷が多いから……そんなに古い機種じゃないでしょ、それ」
「――うん」
 はーっ。画面に息を吹きかけ、千尋は磨くようにハンカチをあて続ける。
「そそっかしいから、あたし。携帯落とすだけじゃなくて。ありがと」
「おう」ハンカチを受け取った男は、それをしまいつつ無意識的に携帯を取り出し、開いて画面に目を向ける。
「綺麗ね」
「えっ」何が。と怪訝そうに男は千尋を見る。
「携帯」
「あー。これ」
 シルバーの折り畳みをあちこち傾けながら「そうかな」
「けっこう前のでしょ。それ」
「だね、二年くらい前かも」
 しばらく画面を見てから再び折りたたむ。
「言われてみれば綺麗かも」
「そうですよ」
 再び男はがくっと欄干にのしかかり、千尋はゆっくりと寄りかかった。


「人待ち?」男が訊いた。
「うん」
 千尋はうなづいた。携帯の画面を見る。カラフルな壁紙の上に雪が舞い落ち、ゆるゆると解けていく。
「二時間くらいね」
「まじ?」
「ほんと」
「よく待つなあ。彼氏?」
「……うん」
 自信なげに千尋は首を縦に振る。
「一週間前に約束して……したんだけどね。時計塔の前って。三日前から連絡取れなくて……」
「寝込んでるとか」
「会社にはちゃんと行ってるの。友達が同じ会社だから教えてくれた」
「そっか」
 うつむく千尋の横顔を男は見つめる。細めた目が潤みだしたことに気づくと、突然にやりと口をゆがめて「勝った」
「何が?」
「俺は三時間待ってる」
「うそっ」
「六日前から連絡取れないんだわ。こっちも。学校には行ってるらしいんだけどさ」
「彼女?」
「そのはず」
「そうなんだ……」
 男はふてくされて車の流れを眺め、千尋は男の横顔を眺め続ける。
 ふと男が千尋のほうを向き「似てるな」
「あたしたち?」
 男は首を縦に振る。
「そうだね」


 人の流れが二人の脇を通り抜ける。
 楽しげな若い女の声、男友達どうしの笑い声。言葉は無いが、足音だけで楽しげだとわかる親子の歩く音。
 お待たせ、と遠くから響く男の声。
「あーっ、もう!」
 欄干を押して身を離した男は「知るかっ! あんな女!」
 千尋は目を丸くして「いいの?」
「いいも何も」
 男は大きな溜め息をついて「別の男がいるのは知ってんだ」
「そうなの?」
「知ったのは四日前だけど。知り合いの妹が同じ大学に通ってて、教えてくれた」
「そう……」
「ひょっとしたらと思ったけど。やっぱり来なかった」ふんっ。男の鼻息が雪の結晶を顔の前から押しのける。
「あんたもやめちまえ」
「え?」
「全然連絡してこない、約束の時間に約束の場所へ来ない。そんな男なんか忘れちまえ」
「そんな」時計が一度だけ鐘を鳴らした。夜七時半。これで二十一回だ。
 言葉を失い、千尋はうつむいた。


 一ヶ月くらい前から、少しずつ離れていく彼の心を感じていた。
 二週間くらい前から、彼のぬくもりを感じることはほとんどなかった。
 そして三日前から、彼の声すら聞くことは無くなった。


 鐘の音が十回を数えるあたりから、目の前で眉をしかめる男の言うことはとっくに考え始めていた。
「……でも」
「でも?」
「……」
 女がいるかもよ。友達の一言が脳を貫いた。
 真偽は、ついに確かめられなかったが。
「忘れる、か」
 呟き、千尋は携帯をバッグから取り出す。電話帳から兼田高一という名前のデータを呼び出し、メニューから削除を選ぶ。
 相変わらず眉をしかめたまま成り行きを見守る男に向かって千尋は舌を出した。
「消しちゃった」
「消した」ははっ。男は楽しそうに笑い、自分の携帯電話をポケットから取り出し、キーを何度も押し続ける。
 やがて画面を千尋に向けて「俺も消した」
「ほんとに?」
「そっちこそ」
 あははっ。千尋の笑い声に、男の頬も緩んでいく。
「腹減らない?」
「そりゃペコペコよ」
「二、三時間も人待ってればな」
「減ってる?」
「もちろん」
 んー、と男はロータリーから長く伸びる大通りに目を向けて「イタリアンでよければ」
「よければ?」
「おごるよ。と言いたいところだけど」
 ぱんぱんと音を立ててジーンズの尻のあたりを叩いて「給料日前はここが軽くて」
「あたしだって同じです」千尋は小さく吹き出した。
「折半で行きましょ」
「そのつもり」
 ふー。男は息を吐き、時計塔を見た。七時三十六分。混んでいなければいいけれども。
「ほんとにいいんだ?」
「え?」
「彼氏」
 高ちゃん。千尋に呼ばれ、振り向く彼の笑顔が一瞬脳裏に浮かぶ。
 前と違うのは、すこしばかり薄らぎ、記憶というより思い出という雰囲気のほうがふさわしく思えるところだろうか。
「……うん。いいの」
「そっか」
 行こうか。そう言って歩き出そうとした男はふと立ち止まる。
「名前」
「え?」
「名前聞いてなかった」
 千尋は一瞬ぽかんとなり、次の瞬間には笑い出した。
「聞いてなかったね」
「真鍋洋太」男は言った。
「あたしは青山千尋
「えーと」
「青い山の千の尋」
「ひろ」
 男は千尋の顔を見ながら眉を寄せて「登録しよう。うん」携帯を取り出した。尋がわからないらしい。
「あおやま……ちひろ。ひろはあれ?」
「どれ?」
「カタカナのヨでエロで」
「その言い方やだ」
「あーはいはい。じゃ見てよ。これでいい?」
「……うん。そう。あたしも入れちゃお。えーとまなべ」
「あー、辺じゃなくて。鍋」
「あ、こっちね。ようたは太平洋の洋?」
「そうそう。番号も入れる?」
「うん」
「待って……はい」
「ありがと……〇八〇の……」



 雪は本降りになるでもなく、気ままにはらはらと舞い落ち続ける。
 洋太の綺麗なシェルタイプと千尋の傷だらけのストレートタイプ、二つの携帯電話は、少しばかり切ない思い出とともに二人の心を結び付けようとする天使、その頭上に浮かぶ輪のように煌きを放ち続けている。



On-hook...






時計塔の広場
 日本鉄道東信線佐久平駅の屋上にある連絡通路の広場のこと。市街地の中央にある駅舎は人通りも多く、待ち合わせにも便利なことから時計塔のあるこの場所はよく利用されている。南を見ればさくら大通りが一望でき、北を見れば浅間山の雄姿を望むこともできる。


綺麗なシェルタイプと傷だらけのストレート
 それぞれNiDD(ニードと読む。日本移動電電のこと)の山下通信工業製iD305Yと三菱電気製v3103D。iD305シリーズは第二世代のデジタル通信方式携帯電話の中でも終盤に近い頃のもので、日米の学術研究団体によって開発されたインターネットと呼ばれる全地球規模のネットワークにアクセスが可能。さらにアプリケーションプログラムのダウンロードによって機能を追加することができた。またv3103Dは第三世代携帯電話NeX3000シリーズ(ネックス。Next Experience:次なる経験の略だが実際はnextの語感から作られた造語といわれる。3000の千番台は第三世代から)の一つで映像通話に対応している。この頃は二世代の過渡期にあたり、通信方式の異なる二つの世代の端末がともに使われていた。ちなみにシェルタイプはいわゆる折畳み型、ストレートは折りたたまない昔ながらの形状のものを指し、ボタン部分にフタがあるものはフリップタイプと呼ばれる。


天舞の日
 一九五二年一月二十三日、八年前の音速突破飛行ですでに有名だった石井雄一宇宙飛行士が世界初の宇宙遊泳に成功した。この日は彼が乗船していた宇宙船てんぶ四号にちなんで「天舞の日」と呼ばれるようになり、七年後の五九年から国民の祝日となった。この日は奇しくも五十周年にあたる。




著作権は私こと「はりー」にあります。
書いたのは2002年9月7日らしいでーす。
小説までケータイマニアらしいでーす(笑)。


最後のケータイの設定は今見るとかなりお粗末だな。:p