やーっとケリがつく

自治の行方:越県合併実現へ 田中知事「無念な思い」強調 /長野
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nagano/news/20050105ddlk20010051000c.html

ようやく山口村が中津川市と一緒になれそうです。今日提出らしい。やー、ようやく義務を果たす気になられたようで。よかったよかった。
信毎がインタビューした県庁職員とかいろんな声を見てても、振り上げた拳の落としどころが見つからずに本人も困ってたってのが正直なところなのかもなあと感じましたが、だいたい振り上げる段階で何かが間違っているか、遅すぎるのであって。
リンク先の毎日の記事の最後の方、合併反対派の弁護士の「日本の歴史の崩壊が始まった」ってのはなんだかよくわかりませんなあ。崩壊してない歴史ってのは何なんでしょう。こういう日々の積み重ねが歴史なのであって、過去にすがっているだけでその状態が崩れたということを意味するのでしょうか。わかりませんなあ。歴史認識の崩壊、とかはあっても歴史そのものは崩壊のしようがないと思うんだけどなあ。
ちなみに私も長野県民ですが、正直申し上げて島崎藤村にはそんなに長野県民としてのアイデンティティとかそういうものはございません。お前にゃ無くても関係ないわい、とも言われそうですが、あれは木曽路アイデンティティではあるかもしれないけど長野県全体のアイデンティティにはなってないんじゃないかなあ。さらに申し上げれば、全県規模のアイデンティティって無いんじゃないかとも思います。あるのかな。いや無いような気がするけどなあ。たとえば甲州であれば武田家とかそういうものが他所にはあるように思いますが、無いぞ。道州制に移行すれば切り貼りされるという懸念もあるみたいですが、東信地方のみにしか生活の重きを置いていない身としてはぜーんぜん気にもなりません。だいたい戦国時代だって信濃が一つにまとめ上がるようなことはなかったし。真田家だってなあ上田近辺で頑張るくらいだったでしょうに。北陸の長尾家、甲州の武田家に挟まれてたせいもあるのかもしれませんが。それに今はそれほどでもないかもしれませんし解消されてるんだったら全くもって申し訳ありませんが、県庁所在地とか県名に関するすったもんだに由来して長野と松本は仲が悪いとか*1、決してこの県は一枚板ではないと思う。経済格差も考慮した上で、道州制において県が解体されてもそれはそれで歴史の流れだと私は思いますけどね。長野市飯田市じゃ気候も違うし。かまくらと茶畑が同居する県だもんなあ、ここ。

*1:今の岐阜県北部と中南信が一緒になってた筑摩県があった頃の県庁所在地は松本だったと思いました。そうかあいっそのこと長野県と岐阜県がいっしょになっちゃえばいいのに。おいおい。