無念なり。

その報せにただ無念なり。酒でも飲まずにいられるかってんだ。


職場の同僚、仮にA氏としておこう。私より数歳若いA氏とはほぼ同時期に今の仕事を始めた。互いに一度離職してからまた戻ってくるということをしているが、まあ、氏はよく言って人と接するのがあまり得意ではなさそうな感じだった。同僚とも、お客さんとも。正直、苛々することもあったし、他の同僚と話題にすることもあった。
先日、お客さんに対する言葉遣いがあまりにも気になったので、メモを残しておいた。直に言うと萎縮してしまって頭に残らないかもしれないし、私も萎縮されるのはあまり得意ではない。メモだったら文字にして要点を伝えられるし、A氏も頭に入れられるのではないかと思ったからだ。同じシフトにほとんど入らないということも影響している。氏と同じ時間帯に入ることが多く、比較的氏と仲の良い(あくまで比較の上だけど)同僚が補足してくれるそうなので、メモを書いておいた。
それから数日。少しは頭に入れてくれただろうかと仕事ぶりをそれとなく見ていると、言葉遣いも行いも、少しずつではあるものの改善が見られたのがわかった。あんまり詳しくは書かないけれど、意識して努力しているだろうということは十分に判った。
なんだ、できるんじゃん。向上しようって気持ちはあるんじゃんか。
それに気付いた時点で、私の氏に対する評価は(偉そうだけど)がらっと変わった。外面的にはそれほど変化は無かったかもしれないけれど、内面的には氏の姿勢をかなり評価するようになっていた。
昨日は珍しく氏と同じシフトだった。じわじわとではあるけれど、何ヶ月か前と比べれば明らかに違う氏がそこにはいた。ああ、氏なりに頑張っているんだなあ。と、ちょっと嬉しかった。


来月いっぱいで氏が辞めるということを店長から聞いたのは今日になってからだった。


辞めるな、とは言わない。言えない。それは氏が自ら決めたことなのだから、そのことに間違いも正しいもないと思う。
ただ、悲しいのは、雇い主や店長、同僚を含め、本心はもちろんわからないけれど、むしろそのことを歓迎するかのように話していたこと。


無念だった。
変わりつつある氏のことを、そのことに気付いたことを、俺はもっと周りに伝えるべきだったのかもしれない。
もう辞めるんだから、と吹っ切れていたのかもしれないけれど、それでも、良くなってきていたんだから。そのことは認めてあげるべきだと思うし、もっともっと良くなっていくかもしれないその可能性が消え去ることに寂しさを憶えることは間違ってはいないと思う。


仮にB氏としておこう。
誰からも匙を投げられているスタッフがいる。
お客を馬鹿にしているし、時には接客にもそれが出ることがある。
A氏にはまだ可能性があると思っているからメモであっても意見は伝えた。でもB氏には、少なくともその仕事ぶりについては私から何か伝える気はない。無駄だと判っているから。B氏は変わらない。
時折アクションを起こすことはある。でもそれは建設的なものではなくて、手綱を握る、という表現の方が合っていると思う。ある程度コントロールしておかないと、お客さんと店に迷惑がかかる。そういう人もいる。選べるのであればB氏にこそ去ってもらいたいと思う。


なんでA氏なんだ。
なんで。


無念で仕方がない。