四月の馬鹿(前)

 別に始業式の日にまとめてやっちゃえばいいような気がするのにわざわざ登校日を設けて新しい校長を迎える式を執り行うというプリントが年度末に配られていた。
 サボろうかな。とも思ったが、仲間と式の後で遊びに行こうという話になったので登校することにした。


 日もすっかり昇った、朝というよりもお昼前という方がふさわしい時間帯。店の開いた商店街を通り抜けて学校へと向かう。
 学内はいつものように賑やかだった。むしろ普段より賑やか。去年度までの三年生は卒業してしまったのでもういないし、新一年生も初登校は入学式からになるので今日来ているのは新しい二年生と三年生だけ。だというのに賑やかなのは、式が始まるまではほぼ勝手に行動できてしまううえに春休み中の登校日ということもあってイベント感があるからなのだろうか。
 は、と気付くと二年生の教室に入りそうになったのでそうすることが当たり前のように廊下を通り抜け、反対側の階段から三年の教室が並ぶ校舎の最上階へと向かう。
「おはよー」
 教室に入ると、いつもの顔ぶれが半分ほど集まっていた。
「おうケンジ、おっはよう」
「もう来てたんだ」
 慎太郎と勇大が並んで座る、その後ろに腰を下ろした。席順はまだ決まっていないわけだし、他のクラスメートも思い思いの場所で座ったり立ったまま話をしているので何を気遣うこともない。
「おまえ登校日だろーってオフクロに叩き起こされてさあ」勇大が苦笑する。
「何時?」
「六時」
「早っ」
「寝たの二時だぜ二時」
 両手でゲーム機を操作する仕草をしながら「一瞬オフクロが敵キャラに見えた」
「ラスボスだろ」
「そうそうそうあほかっ」
 慎太郎を引っ叩きながら三人で笑う。
 うん、登校日も悪くないな。
 ふ、と横に逸れた視線の先に、彼女はいた。
 五人ほど集まった女子グループも何か話をしている。笑っていた。
 笑いで緊張した腹筋と入れ替わるように心拍数が上がっていくのを感じる。


「お」


「だは」
 耳元にゴリラがいると思って振り向くと数学の問題集をメガホン替わりに丸めてこちらに向けている勇大だった。
「カナちゃん」
「ばーおまっ」
 メガホンを塞げと手のひらを突き出すと反対側が勇大の口を直撃して「ぐは」ぱこんと叩かれた。
「いてーだろ」
「言うなって」しー。
「告白すりゃいいじゃん」慎太郎が乗り出してくる。
「でできねえよ」たき火に顔を近づけたような感覚。
「なんでえ」
「だってさ」
 膝の上で組んだ手に視線を落とす。
「今は友達っつか同級生だから話もできるしあっちの連中と遊んだりできるけどさ」
「うん」
「うん」
 焦点が手から離れ、上履きの先端へ。
「……怖いじゃん。ふられて、今はできてるけど話もしづらくなるっていうか、話しても無視されたり、ぎくしゃくしたり。今より悪くなるのが怖い」
「そりゃそうだな」
「だろ」
「でもそれじゃ先に進まねえぞ」
「わかってるよ」
 顔を上げ、廊下を見る。そんなつもりはなかったが、目を向けた窓に映り込んだ教室の景色、その中に彼女の姿が見えた。また頭を下げる。
「ものは考えようでさ」
 慎太郎が切り出した。
「今日は何日よ」
「一日」
「四月だ」
「だから?」
「何の日だよ」
「ああ」
 勇大が笑顔になって「シンちゃんそれいいかもな」
「何だよ二人して」
「エイプリルフール」笑顔のままこっちを向いた勇大が指を指してくる。
「だから何」
「今日告白しろお前」
「いやだっ」
「で、もし気まずそうな空気になったら、だ」
 にやにやと慎太郎が身を乗り出す。
「うっそー、とか何か言ってエイプリルフールであることを強調する」
「……なるほどお」
 腕を組んで頭の中でシミュレーションしてみる。



パターンA:
オレ「カナちゃん」
カナ「なに?」
オレ「カナちゃんのことが好きだ!」
カナ「えーっ!?」
オレ「付き合ってくれ!」
カナ「うれしーい」
オレ「やったー!」
ハッピーエンド。



パターンB:
オレ「カナちゃん」
カナ「なに?」
オレ「カナちゃんのことが好きだ」
カナ「え……ええっ?」
オレ「……なんてーうっそーん今日はエイプリルフール」
カナ「なーんだーもーびっくりしたー」
オレ「えへへーごめんごめん」
バッドエンド。には少なくともならない。



 鼻息も荒く「完璧じゃないかっ」
「だろだろだろ?」
「やろうぜやろうぜ!」
「いつにする?」
「どうせ式が終わればホームルームやって解散、残ってないでさっさと帰れって言われるだけだからなあうーんと」
 ちら、と慎太郎が時計を見て「今」
「まじかっ」
「行け行け行け!」
 勇大に椅子から蹴り落とされる。
「いやでもさすがに心の準備が」まて勇大なんでお前は問題集を丸めて。


「カーナーちゃーん」ばかーっ。


「え?」


 女子グループ全員がこっちを向いている。
 勇大おまえなんということを。
「ケンジが呼んでるー」うわー。
「なにー?」
 カナちゃんと目が合った。
 窓の外は春の陽光。その手前に立つ背の低いカナちゃんはまるで後光をまとって微笑む女神。のようにケンジには見えていてそれだけで心拍数が二十は上がる。
「はー」はーじゃない。焦る。
「ん?」ああもうそんなくりくり可愛い瞳で見つめないでくれ嬉しいんだけど。
 苦しい。
 頭の中がしびれ、締め付けられた胸が無理矢理息を吸い込んで「すあ」
 一気に吐き出した。



「好きだあっ」



 全く想定外の大声に教室中が静まり返った。
 あれっ。
 ここまで注目を集めることは考えてなかったなあ。
 みんなが止まっている。
 カナちゃんを見た。
 パターンAでは「満面の笑顔」パターンBでは「微妙な苦笑」になるはずなのだが。


 固まってる。
 無表情で固まってる。


 いやあな汗を背中に感じながらも思考が止まって立ち尽くす。
「ケンジ」慎太郎が囁くように叫んだ。
「プランBプランB!」
 そうだ。そうだそうだそうだ。
 気まずくなった時に全てをチャラにする今日だけ通用する魔法の言葉があるじゃないか。
 今こそ呪文を唱えるときだっ。


「……なあんて」
 笑え。笑え俺。「エイプリルフールじゃーん今日さー」
「んだよお」
「うあーびっくりしたあ」
 男子の声に少しずつどよめきが広がり、誰かが言った。
「ビビったけどネタ的にはすべったよな」
 笑いが広がった。
 バッカじゃないのぉ、という女子の誰かが発した罵りと同時にチャイムが鳴った。
 ぞろぞろと歩き出すクラスメート。
 行こうぜ、と勇大に引っ張られながら、カナちゃんの様子をうかがう。
 カナちゃんは動かない。
 うつむいていて表情もつかめない。
 親友のミサキが何か話しかけている。返事をしているのかどうかもわからない。


 実際のパターンは、想定外のCだった。


 教室から廊下に出てカナちゃんが見えなくなる瞬間、こっちを向いたミサキと目が合った。
 とてつもなく鋭い目つきだった。
 寒気を通り越し、ブラックホールに吸い込まれるような感覚のまま、体育館へと向かった。



 式の内容はほとんど憶えていない。
 ゆっくりと感じる時間の流れ。
 気が付くと教室にいて、見慣れた担任が始業式までの過ごし方をざっと話し、解散を迎えていた。
 がたがたがた。椅子から立ち上がる音と入れ替わるようにして好き放題の話し声がフェードイン。
 みんな期末と同じ席順で座っていた。ケンジのポジションは右から三列目、前から二番目。クラスメートのほとんどが後ろにいるから振り向かないと誰がどこにいるかはほとんどわからない。
 立てず。周りを見ることもできず。ケンジはぼーっと教卓を見つめていた。
「おい、ケンジ」
 空いた目の前の席に勇大がやってきて逆向きに座った。
「大丈夫か?」
「うん」
「落ち込んでる?」
「うん」
「楽しんでる?」
「うん」
 聞いてねえ。あちゃー、と言いたげな顔で勇大が斜めを向くと、その方向から今度は慎太郎の声が聞こえた。
「なんか、悪かったな」
「うん」
「うん、じゃなくて」
 机の上で組んだ腕にアゴを乗せた格好の慎太郎の顔が見える。
「悪ノリさせちゃってさ。ほんと悪かったよ」
「……ノリはあったけどさあ」
 久しぶりに声を発した。思わぬかすれっぷりに咳払い。
「言ったのは自分だから。喜ばれるか、誤魔化せるか、どっちかだと思ってた俺がいけないんだよ」
「ケンジ……」
「あんなデカい声するなんて自分でも思わなかったし」悶々とする心を整理するように、思いを声にする。
「いやだよなあ。俺が女子で好きでもない奴からあんなふうに言われたらいやだと思う」
 目頭がじわっとしそうになる。
「先に気付いてれば」
「ケンジ」
 お、と三人は入り口に顔を向ける。
 険しい表情のミサキが立っていた。
 手招きをしている。
「あー」勇大が天井を見上げた。「おこってる」
 目を合わせられない。
「ケンジっ」
 もう一度ミサキの声が響く。今度の方が大きい。残っていたクラスメートのうちの何人かが気付き、ミサキとケンジへ交互に視線を向ける。
 意を決したように瞳を閉じ、ケンジは立ち上がった。
 何かしらケジメをつけるつもりであろう彼を、勇大と慎太郎にはその背中を見守ることくらいしかできなかった。


【明日へつづく】