たわごと(うわごとともいう)

ただ単に日本語版Palmが無くなるからこらいかん何かせなというだけであれば絶対に長続きはしないと思う。
ということは目標が必要ということになる。
何を定めるべきなのか。
再び日本語版Palmが普通に販売されるということでいいのだろうか。
となればそれなりの市場規模にならなければ戻ってこないのではないか。
日本語版Palmの稼働台数は今年七月をもって減少に転ずる。正規の国内販売ルートが断たれるのだから。
となれば当面Palmは英語版の日本語化に頼らねばならないがそれには多大なる労力を要する。
だからこそPalm愛する人々によるいろんな動きがあるのは当然。
しかしそれだけでも駄目なんじゃないかと思ってきたり。
稼働台数が減少する…。
手元のPalmが使えなくなった。
売ってないか探す。
無い。
ここで諦めてしまえば日本語版Palmの稼働台数減少は日本国内のPalmユーザー減少にも直結してしまう。
いずれやってくる稼働中の日本語版Palmバイスの故障なり紛失なりにおいて、そのユーザーが英語版でもいいからそれでもなおPalmを使いたいと思い実行に移らなければ、そして「日本語可Palmバイス」(日本語版および英語版の日本語化含む)の数を、できれば維持しなければまずはどうにもならないのではないだろうか。
日本語版の稼働台数がゼロになった時点での日本語可の稼働台数がマニアの所有台数に漸近していてはいかんのだと思う。
そしてそれでは絶対にpalmOneの日本参入などはあり得ないと思う。
ではどうすべきなのだろう。
私達には何ができるのだろう。
何をすればいいのだろう。
それが必要であること、それが欲しくなるようなこともまた今まで以上に発信し続けることも大切なんだろう。
車の免許を取るにはお金も時間もかかる。
それでも取りたいのは、車によってもたらされるものにとてつもない魅力があるからだ。
ひとたび事故にまきこまれれば死ぬこともある。
それでも車が無くならないのは、今や生活に欠かせないものだからだ。
一概に同じようなものとは言えないんだけれど、高い金とそれなりのスキルを要求する英語版Palmを日本語化して使うこと、そこに魅力を感じ、欠かせないと思うからこそ今のユーザーはこれらを使っているはずだ。
必要のない人達だって当然いる。
しかし触れてみて、これは是非とも使いたいと思う人達だって今のユーザー数よりも絶対たくさんいるはずなんだ。
還暦前のおっさん(うちの親父様)から乳飲み子を抱える若奥さん(かみさんのメル友)まで、使ってみたいと思う人達は私の周囲だけでも何人かいる。
彼らに対して今の私達は何ができるだろう。
そう考えていくと…日本語版Palmがあろうが無かろうが、ハードルは高くなったとしても、できることは今までとそれほど変わらないのではないかと思えてくる。
逆に言えば、今までできたかもしれないことに手が回っていなかったのではないかとも思えてしまう。
日本語版Palmはこの夏、消滅への一歩を踏み出す。
果たしてそれは彼の企業のみに端を発するものだと言い切れるのだろうか…。