アマテラスのやさしさ

今日は近所の神社でお祭りをやっていました。桜の季節に毎年やっているんですが、一昨年は安産祈願で行ったものの、去年は息子さんが小さかったこともあり、行くことができなかったので今年こそは息子さん誕生のお礼にと家族で行って参りました。
そこでのできごと。
けっこういろんな神様が祀られているのですが(憶えろよ名前)お社ごとに賽銭箱が備わっておりますのです。がめついななんてことは口が裂けても言ってはなりませぬ神罰が下るぞっ(言ってる言ってる)。
そうではなくてですね。子安の社でお礼を言い、天満様にも賽銭を入れ、次に向かったのが天照大神様のお社でありました。
何を隠そう日本神道の主神であらせられるのでありますよ。愛子様の遠き御先祖様でもいらっしゃるっ(わたくし決して右の翼の回し者ではござりませぬ)。
そこの賽銭箱にお賽銭を入れようとした時のことでありました。
かみさんがこういうところでは色々とこだわる方でして、黄金色で穴の空いたやつだとか、茶色で実は二番目に大きいやつではなくて三桁銀貨を供するわけですよ。でお社は数カ所。けっこうな額になるわけです額の問題ではないわけですが。
玉のような、というよりむしろ弾のような息子を授かることができたのですから地元の有力者神様への献金賽銭ぐらいケチケチするこたないでしょうと。気持ち気持ち。
まあ、ここでも銀貨を放ろうとしたわけですが、かみさんの財布からは先の何カ所かで消耗し尽くしてしまっていたわけですな。
「パパちゃん持ってる?」
「あー待って…あったあった」
残りのお社三つを前に、銀貨三枚が財布の中にはありました。紙幣無し、まさに全力なわけですがここでケチケチしても仕方がないと。
放りましたわたくし。
ふつうはこう、チャリーンと賽銭箱へ消えていくではないですか。まあ弥生時代の地層から出土したものを展示してあるかの如くボロっとしている賽銭箱なのでチャリーンではなくゴチンという感じではありましたがとにかく中へ消えていくでしょう。組木の隙間が広いんですから。
ところが私が天照大神様のお社にある賽銭箱へと放った百円玉は、組木に当たると小気味の良い金属音をチャリンと響かせたかと思えばくるりと華麗に回転し、隣の組木との間にまるで橋をかけるかのようにして止まって落ちずに金額を天へと示したのです。
受け取らんのですよアマテラス様。
かみさんは「あ、ああーそそそんな畏れ多い」わたくしは「あああっお心遣いありがとうございますしかしながらー」指で突いて強制賽銭。
何とも不思議な一瞬でした…隣の八幡様はしっかり一発でお受け取り下さったというのに。主神ともなるとなんとも人智を越えたお心遣いをされるという貴重なる経験であったと思います。おみくじに「適職は薬剤師や宗教家」とあったので何となくそれっぽい口調で書いてみたつもりですが程遠いな。でも当たってるんだよなあさすが御神籤。
写真は最後に廻ったお社の足下にあった小さな落ち葉です。顔に見えませんかー。こうやって現れていらっしゃるのですね神様っ。